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創業者

TAKADA YAICHI
高田 弥市

64歳(享年)

鬼柳尋常小学校高等科卒業
岩手県和賀郡鬼柳村(現北上市)出身

タカヤの熱い使命感と
フットワークの軽さのDNAは
創業者から引き継がれている

仕事内容

弥市17歳(大正12年)の時に大工職の見習いに従事。弥市24歳(昭和5年4月)で北上市に高弥組を創業。(翌年、満州事変)
当時は個人住宅の建築工事がメインだったが、やがて企業の宿舎建築などが増え、花巻温泉療養所や県立黒沢尻北工業高校などを建築。その後、土木部門にも進出。建築がメインだった当時、アイオン・カザリン台風(昭和22年・23年)後の一関市の磐井川の災害復旧工事で土木部門が大きくクローズアップされる。
弥市58歳(昭和39年)の時に取締役社長を引退。その後、代表取締役会長になるも、64歳(昭和45年)で病により死去。
「高弥建設」を経て、現在の「株式会社タカヤ」となる。

仕事内容

後列右から三番目(弥市27歳)

仕事のやりがい

「使命がある所どこへでも行く」高田弥市の行動力を語るエピソードが残っている。
それは高弥組の創業のきっかけにもなった、昭和3年春の青森県弘前市の大火。
当時、第一次世界大戦後の世界的な大不況のあおりを受けて、日本も不景気時代にあった。そんな仕事が途絶えがちなある日、弥市は新聞で弘前大火を知る。復興の使命感の元、大工仲間を引き連れて弘前に駆けつけ、復旧工事に精を尽くした。仕事がある所どこへでも行くタカヤの熱い使命感とフットワークの軽さのDNAは創業者から引き継がれている。

仕事のやりがい

前列左から三番目(弥市30歳)